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テスティモニー 米田ひろしの証文 4/4 -音楽伝道師の道-

創世記を読み終わって次にジェフからヨハネの福音書を読むことをすすめられました。正直なところ、これは創世記程面白いとは感じられませんでした。冒頭から、まず言葉があった、で始まって訳が分らなくて。でもせっかく読み始めたのだからと思い直し、ちょうど日本語の聖書を手に入れることができましたので、ヨハネの福音書を日本語で読み進めていました。そのうち、ある日ふとヨハネに書かれている御言葉を通して今までの自分を思い返している自分に気が付きました。(私はよがえりである。私を信じる者は死んでも生きるのである。そう言えば僕は死にかけたよな。死んでも生きるのか。)(私から飲む者は決して渇くことがない。心は渇いているなあ。)(私は世の光である。私を信じる者は決して闇の夜を歩むことなく命の光を持つのです。自分の生活には希望がなくて出口がないようだ。暗闇を歩くって今の自分のことではないか?)不思議なくらいイエス・キリストのメッセージが心に響いてきました。そして、もし本当に信じるだけで、それだけでこの状態から解放されるのであれば信じてみたいと思うようになりました。ジェフと会ってヨハネの福音書を読むごとにその思いは強くなってきました。

cross信じたいという気持ちが強くなる一方、私はクリスチャンになるということに抵抗を感じていました。神様の存在は認めるし、聖書もいいことを言っている。こういうように生きられるのであれば幸せだろうなあと思えるのですが信じてしまえば残りの人生クリスチャンの看板を背負って生きていかなければならないのか?クリスチャンに対して弱々しいイメージを持っていたのだと思います。どうしてもあと1歩を踏み出すことができず悶々としていました。そんな私を見てある時ジェフはイザヤ書の43章4節、私の眼にはあなたは高価で尊い私はあなたを愛している、の御言葉を開きながら、こう言ってくれました。(浩司よく聞いて欲しい。神様はいるのです。そしてこの地球上に生きる一人一人の人間の人生に道を備えてくださっている。その道は誰のものとも比べることのできない、与えられたその人にしか歩けないかけがえのないものだから、その道を信じてそしてその道を備えた道そのものであるイエス・キリストを信じて生きていってください。その道の上には必ず試練があるけれども、でもその試練さえその道を歩む者のベストを思って備えられたものだから、この神様にあって無駄なことはないはずだから恐れないで逃げないで生きていってください。)私の過去を知っていたジェフはこう言って私を励ましてくれました。この一言が不思議なくらい私を前に押し出してくれました。私はそれまで劣等感の塊のようなものでした。特に野球をあきらめてからは自分に自信が持てなくて何かと誰かと比べていました。新しい知り合いができても、何とかして自分が勝っていると思えるものを見つけよう見つけようとして、見つからないと安心してその人と付き合えないといった淋しい人間関係を繰り返していました。相手を見下すことでしか自分の存在を確認できないでいました。友人の中に甲子園で活躍した人がいます。当時の私は彼の活躍を喜ぶことができず妬ましい思いで一杯になってしまいました。テレビでヒーローになっている友人と同じ野球をやっていたのに部屋から出られなくなっている自分。みじめでした。何かといらいらしていました。そのいらいらをいつも何かのせいにして目の前の現実から逃げていました。状況のせいにしたり、友人のせいにしたり、一番多かったのは親のせいにして親に暴力で当り散らしたり。逃げることしか考えられず、やることなすこと自分を嫌いにさせていました。でもどんなに逃げても神様からは逃げ切れませんでした。ジェフに出会い聖書に出会い、そして神様に出会い、もし自分がイエス・キリストを信じることができて御言葉の約束を心に生きることができれば、それまでのように目の前の試練から逃げ出すことしか考えられない自分ではなく試練の向こう側にある約束をみつめて神様と共に前向きに生きていける新しい自分があることを確信しました。それまで誰かと比べることでしか得られなかった人生観がこの聖書の神様を知ることによって180度変えられました。ジェフと一緒に罪の悔い改めの祈りをして私は晴れてクリスチャンになりました。

 神様を信じて10年が経ちました。今は常に前向きでいられる自分がいます。引きこもった経験さえも感謝できる自分がいます。確かにあの経験は神様から与えられた自分にとってのベストでした。現在私は伝道師として音楽伝道に携わっております。教会を中心に巡回し神様から与えられた歌を賛美して周っております。時に引きこもりの中高生を訪問してホームコンサートの機会をいただくこともあります。また精神病院で歌う機会を与えられることもあります。あの頃の経験を通らされなかったら今の自分はなかったと思います。御心の限りこの喜びを歌い続けていきたいと思います。

長い文章をご精読いただきありがとうございました。