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テスティモニー 米田ひろしの証文 3/4 -聖書との出会い-

日本に帰るつもりだったのですが、その頃、実家の方ではいろいろな事件が続けざまに起こっていました。まず父に食道癌が見つかり食堂除去の手術を受けました。留学中の私を気遣ってか私にはそのことを知らされていませんでした。初めて連絡が取れた時には手術後で入院中でした。父は電話口でまだ声帯が回復していない声で私をはげますのです。自分のためにわざわざ帰ってくるなと何度も言われました。父としても私がずっと閉じこもっていたことに心を痛めていましたから何とかアメリカで頑張って欲しいという思いがあったのだと思います。母親には学校から私の起してしまった事件が伝わっていたのですが、手術を控えた父にはそれを伝えられなかったそうです。私も言えなくて喉元まで帰りたいという言葉が出ていたのですが飲み込んでしまいました。また私には年子の弟がいたのですが、この弟も精神的に苦しんでいました。私とは違ってとても優秀な弟で一流大学に通っていたのですが学校に行けないでいました。精神科で睡眠薬をもらっていたようです。それが悪く作用してしまって結局20歳で心不全を起し亡くなってしまいました。弟が亡くなるのは父の手術より2年くらい後なのですが、弟の悪い状態と父親の手術と私の事件、そして受験を控えた妹もいて母親が一人で家を支えているといった状態でした。日本に帰っても何もできない私の存在は4重にも母親に重荷を負わせてしまうものでしかありません。母親もさすがに疲れ切っていましたので私はアメリカに留まる決心をしました。元いた学校からは受け入れてもらえませんでした。しかし幸いにもシアトルの方で私を受け入れてくれたミッション大学がありましたのでそれまでのレイシーから都会のシアトルへ引っ越していきました。

新しい学校での生活が始まりました。1ヶ月くらい経ってキャンパスを歩いていると看板が眼に入りました。フリーランチという文字が書いてあります。今思えば小さく教会の名前も書いてあったと思うのですが、そのときはただ無料のランチというのに引かれ、教室に向かいました。そこではポトラックをしていました。まだあまり人は来ていなくて私はお皿をもらって一人で隅のほうで料理を食べていました。食べたら帰るつもりでいました。すると一人のアメリカ人が近寄って来て私に話しかけてきました。彼はジェフ・ネルソンという留学生を対象にキリスト教伝道をしている伝道師の先生でした。私は彼がクリスチャンと聞いて彼に対して反抗的になってしまいました。目に見えない神様を信じて幸せそうに生きている人がいる。自分の人生に投げやりになっていたせいもありましたが、私にはジェフはとても幸せそうで輝いて見えました。悔しくなったのだと思います。初めて会ったジェフに対して片言の英語で彼のことを批判したのです。しかし彼は怒ることもなく私の言うことをじっと聞いてくれました。そして自分にとっても勉強になるからこれから会ってくれないかと言うのです。私は引きこもっていて人との接触が少なかったせいでしょうか、ジェフに受け入れてもらえたことがうれしくて週に1回彼と会うようになりました。最初は会って話すだけでした。私の英語力では自分のことを話すので精一杯で時間が過ぎていきました。bible

会話に慣れ初めて2ヶ月が過ぎた頃、ジェフが聖書を持ってきました。彼のことを信頼していたこともあってすすめられるままに創世記を読み始めました。すぐに創世記の壮大な世界に引き込まれてしまいました。アダムとエバやノアの箱舟など知っていた個所もあってジェフと会って聖書の話をするたびに、とても盛りあがりました。何の感動のない生活を送っていた自分にとって週1回のジェフとの交わりは唯一の楽しみになっていきました。

創世記を読み終わって次にジェフからヨハネの福音書を読むことをすすめられました。正直なところ、これは創世記程面白いとは感じられませんでした。冒頭から、まず言葉があった、で始まって訳が分らなくて。でもせっかく読み始めたのだからと思い直し、ちょうど日本語の聖書を手に入れることができましたので、ヨハネの福音書を日本語で読み進めていました。そのうち、ある日ふとヨハネに書かれている御言葉を通して今までの自分を思い返している自分に気が付きました。(私はよがえりである。私を信じる者は死んでも生きるのである。そう言えば僕は死にかけたよな。死んでも生きるのか。)(私から飲む者は決して渇くことがない。心は渇いているなあ。)(私は世の光である。私を信じる者は決して闇の夜を歩むことなく命の光を持つのです。自分の生活には希望がなくて出口がないようだ。暗闇を歩くって今の自分のことではないか?)不思議なくらいイエス・キリストのメッセージが心に響いてきました。そして、もし本当に信じるだけで、それだけでこの状態から解放されるのであれば信じてみたいと思うようになりました。ジェフと会ってヨハネの福音書を読むごとにその思いは強くなってきました。

信じたいという気持ちが強くなる一方、私はクリスチャンになるということに抵抗を感じていました。神様の存在は認めるし、聖書もいいことを言っている。こういうように生きられるのであれば幸せだろうなあと思えるのですが信じてしまえば残りの人生クリスチャンの看板を背負って生きていかなければならないのか?クリスチャンに対して弱々しいイメージを持っていたのだと思います。どうしてもあと1歩を踏み出すことができず悶々としていました。そんな私を見てある時ジェフはイザヤ書の43章4節、私の眼にはあなたは高価で尊い私はあなたを愛している、の御言葉を開きながら、こう言ってくれました。(浩司よく聞いて欲しい。神様はいるのです。そしてこの地球上に生きる一人一人の人間の人生に道を備えてくださっている。その道は誰のものとも比べることのできない、与えられたその人にしか歩けないかけがえのないものだから、その道を信じてそしてその道を備えた道そのものであるイエス・キリストを信じて生きていってください。その道の上には必ず試練があるけれども、でもその試練さえその道を歩む者のベストを思って備えられたものだから、この神様にあって無駄なことはないはずだから恐れないで逃げないで生きていってください。)私の過去を知っていたジェフはこう言って私を励ましてくれました。この一言が不思議なくらい私を前に押し出してくれました。私はそれまで劣等感の塊のようなものでした。特に野球をあきらめてからは自分に自信が持てなくて何かと誰かと比べていました。新しい知り合いができても、何とかして自分が勝っていると思えるものを見つけよう見つけようとして、見つからないと安心してその人と付き合えないといった淋しい人間関係を繰り返していました。相手を見下すことでしか自分の存在を確認できないでいました。友人の中に甲子園で活躍した人がいます。当時の私は彼の活躍を喜ぶことができず妬ましい思いで一杯になってしまいました。テレビでヒーローになっている友人と同じ野球をやっていたのに部屋から出られなくなっている自分。みじめでした。何かといらいらしていました。そのいらいらをいつも何かのせいにして目の前の現実から逃げていました。状況のせいにしたり、友人のせいにしたり、一番多かったのは親のせいにして親に暴力で当り散らしたり。逃げることしか考えられず、やることなすこと自分を嫌いにさせていました。でもどんなに逃げても神様からは逃げ切れませんでした。ジェフに出会い聖書に出会い、そして神様に出会い、もし自分がイエス・キリストを信じることができて御言葉の約束を心に生きることができれば、それまでのように目の前の試練から逃げ出すことしか考えられない自分ではなく試練の向こう側にある約束をみつめて神様と共に前向きに生きていける新しい自分があることを確信しました。それまで誰かと比べることでしか得られなかった人生観がこの聖書の神様を知ることによって180度変えられました。ジェフと一緒に罪の悔い改めの祈りをして私は晴れてクリスチャンになりました。

 神様を信じて10年が経ちました。今は常に前向きでいられる自分がいます。引きこもった経験さえも感謝できる自分がいます。確かにあの経験は神様から与えられた自分にとってのベストでした。現在私は伝道師として音楽伝道に携わっております。教会を中心に巡回し神様から与えられた歌を賛美して周っております。時に引きこもりの中高生を訪問してホームコンサートの機会をいただくこともあります。また精神病院で歌う機会を与えられることもあります。あの頃の経験を通らされなかったら今の自分はなかったと思います。御心の限りこの喜びを歌い続けていきたいと思います。 →続き 「音楽伝道師への道」