新・タンポポの唄−第2回 ふるさと

 忙しい毎日ですが、年に1回は実家のある松山に帰るようにしています。教会の働きもあるので、長くて5日の短い滞在ですが、母に孫の顔を見せなければいけませんし、伝道活動で煮詰まった気持ちをリセットするためにも良い時間になっています。

滞在中に密かに楽しみにしていることがあります。それは2時間程一人で私が生まれ育った街を歩き回ることです。この時間だけは一人だけで過ごしています。私は二十歳で渡米するまで、4回引っ越しをしました。松山で生まれ、父の仕事の関係で香川県の高松市に移りました。赤ん坊だったので高松のことは覚えていません。その後松山に帰ってきて今の実家の隣町に引っ越しました。私の子供の頃の記憶はこの街から始まっています。そして小学校入学前に同じ市内の別の街に引っ越し、そのまた2年後、最後に引っ越したのが実家のある今の街です。

松山歩き回るのは最初の記憶がある隣町です。特に道を決めて歩くのではありません。ただ気の向くままにブラブラと歩き回るだけです。歩いてほんの15分の距離ですが私にとっては特別な空間です。不意に遠い記憶がよみがえり軽い快感を覚えることもあります。あの頃見上げるように思えたブロック塀が今は胸の辺りにあります。父のお使いでよく行かされたタバコ屋さんが、自動販売機だけ残して平屋になっていました。お釣りでガムを買うのがいつも楽しみでした。野球をやった駐車場はまだ残っていました。フェンスを越えたらホームラン。ついに打てませんでしたが、今では片手でも打てそうです。そう言えばここに空き地があって秘密基地を作ったなあ。今は大きなマンションになっていました。小さなあぜ道に入るだけでも懐かしい記憶が甦ってきます。

ノスタルジックな時間の締めに、子供の頃住んでいた家の前を通ります。周りはどんどん新しい建物になっていくのにこの家はずっと残っていました。私が物心ついてから建っているのですから築40年以上にはなると思います。当時から子供心にも「古い家だな。」と思っていたのですが、ここだけは印象がまったく変わらず、タイムスリップしたような錯覚に陥ります。少し立ち止まってその家を見上げます。長い時間だと怪しい人になってしまいますので、気をつけなければいけません。そして甦った記憶を反芻しながら、今の実家のある街に帰って行きます。

去年松山に帰ったときもそんな時間を過ごしていました。思い出に浸った後、いつものように最後にあの家の前を通ったのですが、ついにその家が建て替えられていました。新しく住み心地のよさそうな家に変わっていて周りの街並みにもしっかり馴染んでいました。馴染み過ぎていて気付かないで通り過ぎていました。少し通りを戻り、いつもと同じように立ち止まってすっかり新しくなった家を見上げました。「なくなっちゃったか、、、、、。」小さくため息をついてその家を離れました。いつもより少しだけ長い時間佇んでいました。周りと違和感あるくらいに古い家でしたから建て替えられるのは仕方がなかったと思います。この街を離れて35年。もう繋がりがなくなっても不思議はありません。年に1回しか帰ってこない人間の無責任な思いとは関係なく時間は流れ街も変わっていきます。分かってはいるのですが、無性に淋しかったです。

 帰宅して風呂に入りました。改めて何が自分をあの街を歩きたい思いにさせていたのか、考えていました。懐かしさと淋しさが入り混じっていました。自然と「来年はどうしようかな?」と呟いていました。何かを振り切るように湯船からあがりました。

 

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