新・タンポポの唄−第1回 オオクワガタの思い出

 数年前、山形でコンサートツアーをしていたときのことです。10日間の日程で市内の教会や施設で歌わせていただいたのですが、間に2日オフができてしまいました。遠出でコンサートツアーをするときは、宿泊の必要もあるので、なるべく空きのない日程を作るようにしています。仮にコンサートの機会が入らなくても、引きこもりの方の家庭訪問や鬱病の方の相談などを入れるようにしていました。しかし今回はコンサートも家庭訪問の依頼も全く入らず、完全オフの2日間になってしまいました。
 そこで「これは神様がくださった休暇かな。」と思い名古屋にいる家族を山形に呼び寄せることにしました。息子も丁度夏休みでしたし、妻も山形に来たことがないとのことでしたのでいい機会かなとも思いました。急な提案でしたが2人共とても喜んで山形にやってきました。駅まで迎えに行くと、当時電車に非常に興味をもっていた息子が、あこがれの新幹線「つばさ」に乗れたことに興奮して改札を元気よく出てきました。
 山形滞在中は友人の好意で、ぶどう狩りに連れて行ってもらったり、名物のそばを食べたりして楽しく過ごすことができました。音楽伝道師という仕事柄、それまであまり纏った休みを取ることができず、家族旅行も久しぶりでした。山形にはコンサートで何度も来たことがあったのですが、今回は緊張感を忘れ、のんびり過ごすことができました。山形の街が今までとは少し違って見えました。がむしゃらに活動してきて余裕を失くしていた自分に神様が何か語ってくださったように思いました。
オオクワガタ あっと言う間に楽しい2日間が過ぎて行きました。妻と息子は午後の新幹線で名古屋に帰ります。それまでの時間、以前からお世話いただいている教会に家族でご挨拶に伺うことにしました。私のツアーも2日残っていて最後にコンサートをさせていただく教会でもあります。牧師先生ご夫妻は私達の訪問をとても喜んでくださいました。お交わりの最中、牧師先生が「息子さんにクワガタをプレゼントしてもいいですか?大きなクワガタがいるんですよ。」と私に耳打ちをされました。息子は昆虫も大好きでいつも小さな昆虫図鑑を持ち歩いていました。そんな息子を見て先生はそう申し出てくださいました。大きなクワガタということだから、ミヤマクワガタかノコギリクワガタかなと思っていたのですが、持って来てくださった虫かごに入っていたのは、あまり普段目にしない種類のクワガタでした。 「これはもしかして、、、。」と息子のもっていた昆虫図鑑で調べてみると、間違いなくオオクワガタでした。
 大きな木の穴の中に生息し、とても用心深い性格なので捕獲が難しく、大型になると何万円という価値のあるクワガタです。5センチはある比較的大きなオオクワガタでした。牧師先生のご自宅のベランダで埃まみれになって転がっていたそうです。たぶん誰かが飼育していたものが逃げ出して、迷い込んできたのでしょう。高価なものなので、さすがに頂く訳にはいかないと思ったのですが、牧師先生は優しく息子の手に虫かごを包ませてくださいました。息子は嬉しそうにいつまでもオオクワガタを見つめていました。帰りの新幹線の時間が近づきました。その日私は夜に別の教会でコンサートがあり、すぐに行かなければならなかったので牧師先生が2人を山形駅まで送ってくださいました。
 翌日の日曜日はオオクワガタをプレゼントしてくださった牧師先生の教会でのチャペルコンサートでした。山形ツアー最後のコンサートです。その日の礼拝説教の中で牧師先生は息子のことを少し語られました。妻と息子を駅まで送ってくださった時、息子は最後までずっと愛おしそうにオオクワガタを見つめていたそうです。その息子の姿を見て、イエス様もきっと同じように私達一人一人を見つめてくださっているのだろうなあと思われたそうです。私も息子の笑顔を思い返しながら、イエス様の愛を再確認していました。その日無事に山形のコンサートツアーを終えた私はたくさんの祝福を噛みしめながら、家族の待つ名古屋へ帰って行きました。
 2週間後、このオオクワガタは再度、我が家からの脱走に成功しました。堅く締められた水槽の蓋を押し開け、名古屋の街を飛んでいきました。ベランダで世話をしていたのですが私も息子も2日ばかり気付かず、あまりに姿を見ないのでおがくずを掘り返してみて、いなくなったことに気が付きました。そう言えは2日前、水槽の蓋が少しずれていました。大人の私がかなり力を入れないと外れない蓋を押し開けて逃げていったのでした。 私も息子もがっかりしてしまいました。何もいなくなった水槽を見ながら私は2週間前の牧師先生の礼拝説教をしみじみと思い出していました。愛する者に対する愛おしさと、失うときの悲しさをオオクワガタに教えられたような気がしました。

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